生きている世界は同じだけど、見えている世界はまったく違う。

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セダンとは、マツダとかトヨタとかに並ぶ車のメーカーを指す言葉だと思っていた。ミニバンのヴォクシーとノアのデザインの違いは分からないし、子どもの頃に乗っていた車のメーカーなんて、もちろん答えられない(聞かれたら、白い車と言う)。

私が車に相当うとい(→乗ってる車のメーカー?「セダンだよ」と私は答える)ことは、夫と付き合うようになってから気が付いた。夫ときたら、車を運転している間中、そこら辺に走っている車をチェックしまくっている。

「あ、今の車○○○○○○や!1,000万円以上するやつやで!」

「あれ、□○△や!めちゃくちゃ古い車やで!俺が生まれる前に発売されたやつ」

とか、なんとか。ずーっと言っている。

夫との会話をここで再現しようとしたけれど、いかんせん○○○○○○に入る部分を何一つ覚えていない。

またあるときはこんなことがあった。

家からかなり離れた郊外を走っているとき、夫が「あの車、近所のあの角の家の人の車や」とかいう。いやいや、ここは家からだいぶ遠く離れた場所だし、こんなへんぴなところにいるはずもないでしょと思い、「たまたま車が同じだけでしょ」というと、「いや、車種もナンバーも同じだから、あの家の車や」と断言する。

「ナンバーも同じ」って、人ん家の車のナンバーを覚えているのか!?という衝撃。

怖い。それはさすがに引く。

いや、どこで誰が何を見ているか、本当に分からないものだな!!!

また夫は、気に入った車(○▲×□)があるとネットで熱心に調べて、○▲×□のどこそこがイイとかいろいろ教えてくれて、○▲×□が道を走っていると「ほら!アレ!俺が今ほしい車!!」と逐一教えてくれる。

揚げ句に「今、流行ってるのかなぁ、やたらと○▲×□が走ってるの見るわ〜」とか言うのだけど、いや、私の目に映る世界には、○▲×□の車は1台も走っていない。同じ車に乗り、同じように前を見て、同じような景色を見ているにも関わらず。

こんなことが続いて、思った。

生きている世界は同じなのに、見えている世界はまったく違うんだな!!!

と。私と夫では、こんなにも見えているものが違う。夫には私が見えないものが見えているし、私には見えるものが、夫には見えないということもあるだろう。

感じ方、興味の違いでここまで見える世界が違うってことは、そりゃ、人と人は分かり合えないこともあるし、意見も衝突するよねと改めて思う。

車を運転しているときに横を走っている車なんて、私にとっては地面を歩いている蟻と同じだ。いるのだろうけど、どうでもいいし、よく見たら見えるだろうけど、普段はどんな蟻がいるかなんて、まったく意識していない。

世界の車は私の中でこうだ。

私の車か、そうでないか(ローランド・スタイル)

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この記事を書いた人

江角悠子

1976年生まれ。京都在住の文筆家・編集者、ときどき大学講師。ブログでは「ふだんの京都」をお伝えするほか、子育てエッセイも。コーヒー・旅・北欧・レトロ建築をこよなく愛す。