過去を「全部それで良かったね」にするには。

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先週の祝日、久々に両親と弟家族と、我が家とで、広島旅行に行ってきました。

私は広島で生まれ、15歳までは広島に住んでいたのですが、高校に入学するタイミングで、両親の故郷である島根県出雲市に引っ越し、4年だけ(高校の3年+浪人1年)住んでいました。その後、広島の大学に1年だけ通い、京都の大学に編入して以来、京都在住28年。

今年は父親が80歳、両親が結婚50年の金婚式を迎えるということで、家族で思い出の地・広島に旅行にきたのでした。

ホテルは奮発してヒルトン広島に宿泊。両親のホテル代は、子どもたちである私と弟で割り勘。1泊するだけなのに、1ヶ月分の家賃ですか?というくらいの金額になるのですね、そうなんですね。

せっかく生まれ故郷に帰ってきたのだから、子どもの頃を過ごしたエリアや生家を見に行くなどしたのですが、私たちは元々5人家族だったのに、妹は20歳で亡くなり、今はもう4人になってしまったなぁと、ふと。

私たちは私が長女、次女・妹、末っ子長男・弟の3人きょうだいで、学校の成績は弟が一番悪かった。

妹は頭が良くて進学校のハイクラス(普通クラスより上のクラス)にいたし、私は妹と同じ高校で普通クラスにいたのだけど、弟だけは私たちと同じ高校に入る学力がなく、一人だけ違う高校に行っていた。

大学も行けそうなところがなく、両親の一番の心配は弟の将来だったと思うのだけど、まぁ、今は東京でデザイナーとしてなり、自分のブランド(EZUMi)も立ち上げて、JALの制服を作るなど活躍している。

きょうだいの中で一番成績が悪かったくせに…と姉の私は思うのだけど、成績の良さと、仕事ができるかどうかはまた全然別のものであるよなというのは、大人になってから分かった。

思い出話の中で、弟は平仮名を書けるようになるのもきょうだいのなかで一番遅かったし、高校も進学校に行かなかったねぇという話をしていたのだけど、もし弟が進学校に行っていたら、ファッションデザイナーになる道には進んでなかったよなぁという話になった。

たしかに、弟が私が行っていた進学校に通っていたら、ファッションデザイナーになる可能性はほぼなかったであろう。なんせほとんどの人が、学校の先生になったり、役所に勤めたりするような学校なのだ。

あの学校では、卒業後にファッション系の学校を選択することすら、認められなかったであろう。「勉強ができることが全て」の学校だったから。

そう思うと、弟は勉強ができなくてむしろ良かったねという話になった。

どんな過去であっても(ダメな過去でも、辛い過去でも)、「今」を肯定できたら、全部「それで良かったね」となるんだなぁと思いながら、その話を聞いていた。

もし現状が肯定できないなら、全部「過去が悪い」ということにしてしまうだろう。

だから、現状を肯定できるようになったら、辛かった過去も嫌だった思い出も、全て「それで良かったね」となる。

妹が亡くなって良かったねとは決して言えないけど、弟がイギリスの大学に通うためにかかった多額の費用は、妹の死亡保険があったからまかなえたということを昨日初めて知った。

今の弟の活躍があるのは、妹のおかげでもある。

うーむ。そのお金、私にも使ってくれや!!という思いと、妹が生きてたら良かったのにという思いがあって、とても複雑だが。

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この記事を書いた人

江角悠子

1976年生まれ。京都在住の文筆家・編集者、ときどき大学講師。ブログでは「ふだんの京都」をお伝えするほか、子育てエッセイも。コーヒー・旅・北欧・レトロ建築をこよなく愛す。