これからの人生が豊かになる!寒竹泉美さんの「小説講座」に行ってきました!

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3連休だった先週末、大阪の梅田まで、小説家で理系ライターである寒竹泉美さんの小説講座を受けに入ってきました。

この1月には、同じく寒竹さんの「絵本講座」を受けていますが、その時も得るものがたくさんありましたが、今回は満を持しての小説講座。前回と違って、今回は2日間にわたる集中講座。得るものが前回以上に多くて、何から書いていいのやら途方に暮れるほどなのだけど、とにかく忘れたくないことだけを記録しておきます。

小説とはフィクションである

私はいつか小説が書きたい。と漠然と思っていたけれど、小説(フィクション)であることのメリットとデメリットの話を聞いて、私が表現したい、書きたいと思っていることをアウトプットするには、「小説」という形がベストなのではないかと気付いた。

小説とはつまりフィクションである。そうした前提があるからこそ、表現できることがある。たとえば、ドロドロとした醜い心のうちを書き、そのまま江角という名前で発表するには、はばかられる。でも小説という形にして、主人公なりなんなり、登場人物に言わせれば、それはもうフィクションであり、作者本人のこととは捉えられないのである。なぜなら小説だから。

逆にデメリットはというと、ウソが前提なので巧妙に書かないと、物語の世界に入ってもらえないということ。

ここで、作家としての力量が試されるのだなぁと思う。作家は、いかに巧妙にウソをついて、読者を信じさせるかということが大切で、ボロが垣間見えた瞬間に読者は物語から引き離され、一気に冷めてしまう。

気持ちを言語化する難しさ、その先にある豊かさ

講座の中でこんなワークがあった。

自分がどんな状況なら幸せなのか、考えてください。
そして、その状況にいるとき、どんな気持ちですか?「幸せ」という言葉以外で表現してください。

幸せという言葉を使わずに、幸せの状況を説明する。これがなかなか、本当に難しいのだけど、やっていくうちに私がどういう状況、状態なら幸せと感じるのかということが見えてきた。

私が思う「幸せの状況」とは、家族でクルーズ船に乗り、世界中を旅するというもの(どんだけ!)。この状況を説明する言葉として、

・ワクワクする
・朝起きたときに今日することを自分で決められる
・全ての決定権が自分にある
・衣食住が満たされている
・自由
・ちょっと退屈、飽きてくる
・視界を遮るものがない、爽快感
・期待感
・明るい未来を感じられる

という言葉が浮かんできた。

書いていくうちに分かったのは、私は衣食住が満たされており、かつ、

全ての決定権が自分にある

ときに最も幸せだと感じる、ということ。だから、毎朝起きた瞬間から、何をしても自由なクルーズ旅行があんなにも楽しかったんだなぁと腑に落ちた。これは発見だった。漠然と感じていた何かを手中に収めた気分。

クルーズ旅行の記事はこちら

ということは、衣食住を満たし、朝起きたときに何をしてもいい決定権が自分にあれば、大金を払ってクルーズ旅行に行かなくても、私はすぐに幸せになれるということだ。

このワーク、他の人のも聞かせてもらったのだけど、見事に全部違っていて面白かった。「幸せ」の定義って人それぞれ全然違うんだなという当たり前のことを改めて知った。

そして、気持ちを表現するときの語彙力のなさを思って、帰ってから「感情ことば選び辞典」をぱらぱらとめくるなど。

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このときの気付きは月刊の有料マガジンnoteにも書きなぐっています。
気持ちを言語化する

対象物をどう捉えるかで、キャラクターが見えてくる

初日の講座後半では、自分が書いてみたい人物の設定を考えるというワークがあった。私が考えたのは、アートフラワーの作家として活動する50代の女性。既婚、大学生の息子あり。

その後、この作った人物がある人を見て、どんな気持ちになるのかというのをやってみた。

たとえば、50代女性が石原さとみを目の前にしたとき、どんな気持ちになるのか。これも、すごく面白かった。

ある対象物をどう捉えるかで、その人が見えてくるのだ。

私が考えた50代女性なら「可愛い子とおしゃべりできてうれしいわ(親しみ、純粋にワクワク)」とか「でも、いろいろ話しかけたら、悪いかな(大人としての配慮)」とかそんなことを思いそうだなと想像した。

これが30代の女優を目指す女性だったら、もしかして、目の前の石原さとみにものすごい敵対心を燃やすかも知れない。「たいして可愛くないのに、何なのこの女(嫉妬)」「絶対負けない(奮起)」「私の方が可愛いし、演技だってうまいのに(羨望もしくは、嫌悪)」と良い印象を抱かないということもありうるかもしれない。

私だったら「わー!かわいいな!うれしいな!話しかけたいな!眼福の極み!」とでも思うのかも知れない。

つまり、どんな気持ちになるのかで、その人のキャラクターが分かるのだ。こ・れ・は、言われてみれば確かにそうなんだけど、そんな視点で考えたことがなかったのでめちゃくちゃ面白かった。

何を書いても自分が出る

2日目のワーク。

前日に考えた人物が水曜日の晩ご飯に、誰と何を食べて、どんな気持ちでいるのか、何を話すか台詞を考えるというもの。

50代女性はどんな性格で、どんな風に物事を捉えて、その人ならどう発言するのか。

これが難しくて、なかなか50代女性が何を言うのか、想像が膨らまない。試しに書いてみるものの、それは単に私の言葉になってしまう。

客観的に捉えてそれを表現する難しさ。技術と想像力がないと、何を書いても自分になってしまうんだなということを思い知る。ここで思いついたのが、下手な役者が何を演じてもその人自身に見えてしまうのと同じだなぁということ。冷徹な医者を演じようが、子煩悩な父親を演じようが、その人にしか見えない、どれも同じ役者さんっているけど、今の私はそれだな、と思う。

逆に良い風に表現すると、何を書いてもそれは、私にしか書けない文章、ということになるのだけど。

ライターになりたての頃は、私にしか書けない表現がしたい、私らしい文章が書きたいとか暑苦しいことを思っていたけれど、最近は、もう何を書いても私の文章になってしまうんだから、あとは分かりやすく、いかに伝えるかということに注力すれはいいのだなと思う。私らしさなんて、勝手ににじみ出てしまうものだから…なんてことを思う。

小説が100倍楽しくなる

2日間みっちり学んで思ったのが、小説を書くのは大変だなぁというこの一言。これを乗り越えて小説を完成させる作家のすごさよ。作家さんはスゴイと思っていたけど、改めてスゴイ。こんなにしんどい作業をし続けているなんて。たとえば、虐待や殺人のシーンを書くなんて、どれほどしんどいのよ!と想像する。その人になりきって、その人の抱えるいろいろな感情を一緒に感じて、それを言語化する。ちらっと想像するだけで…しんどすぎる。

でも、小説を書くことでまた別の人生を生きられる面白さもあるのだろうなと思う。小説を書いている間は、アイドルにだってなれるし、億万長者にだってなれる。読者としてそういう体験をするのも楽しいけど、書き手としてそういう体験も出来たら面白そうだなぁ。

今回、いろんな視点を知ったことで、私の人生はものすごく豊かになるなと確信した。

私は、これから小説を読むときの視点がまた全然変わってくるし、今までの100倍くらい楽しく小説が読めるのではないかと思う(それはなんと素晴らしい!)

学んだことをあとは、実践していけたら良いなぁ。

というわけで、印象的だったことだけ抜粋して記録してみました。あぁ、楽しかった!!!(寒竹さん、ありがとうございました〜)

※8/3に開催される寒竹さんの 演劇脚本のワークショップも絶対に面白いと思うんだよな。今回は行けないけれど、次回があれば絶対に参加したい!

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この記事を書いた人

江角悠子

1976年生まれ。京都在住の文筆家・編集者、ときどき大学講師。ブログでは「ふだんの京都」をお伝えするほか、子育てエッセイも。コーヒー・旅・北欧・レトロ建築をこよなく愛す。