「吃音 伝えられないもどかしさ」を出版した、近藤雄生さんトークイベントを聞いて『書くこと』について改めて考えた。

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お友達のライター、近藤雄生さんが1月31日にノンフィクション「吃音 伝えられないもどかしさ」を出版。近藤さんが原稿を書いているときから、チラッとお話を聞いていたので、出版の日をとても楽しみにしていたのでした。

読んだ直後の感想は、上記のようにInstagramの読んだ本を記録するアカウントにざっと書いたけど、いろいろな思いが混じってなんかうまくまとめられない。

元々、自身も吃音(どもり)に悩まされていて、就職を諦め、旅に出たという経緯を持つ近藤さん。「吃音 伝えられないもどかしさ」は、吃音に悩む人80人以上を5年かけて取材したノンフィクション。吃音は、約100人に一人、日本では100万人ほどの人がその問題を抱えているという。

吃音という言葉は知っていたけれど、不登校や離職、中には自殺にまで追い込まれる人がいるだなんて、想像したこともなかった。

吃音になる原因はよく分からない、よって、こうすれば治るという確固たる方法もなく改善する方法があってもまちまちで、それすら人によっては合っているのか不明。本当に雲をつかむようなこの吃音という問題に、よくここまで向き合って、言語化したな、すごいなという思い。

このあいまいな「吃音」について、まわりの人の理解が進むことで少しは、当事者の人たちも生きやすくなるのかもしれないと期待したい。だから、本当に多くの人に読んでもらいたいなと思ったのでした。

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近藤雄生さんのトークイベントへ!

で、週末、刊行記念のトークイベントを開催するとのことで、行ってきました。

この日は、以下の4つのテーマを元に話が展開されていきました。

  1. 出版から3週間経って思うこと
  2. 吃音について
  3. この本を書いた経緯、自分自身の吃音について
  4. ノンフィクションを書くことについて

書くことについて、改めて考えさせられた

近藤さんがこの本で一番伝えたかったことは、「いかに吃音が苦しいか」だったそう。吃音に縁がない人にも届けたい、一般の人に届けたいという思いから、読み物として成り立たせなければという思いが強くあったのだとか。いかに吃音が苦しいかは、これは胸に染みるくらい伝わってきた。

そしてノンフィクションなんだけど、ある男性の人生がストーリーの軸になっていて、エピローグからして、読み物としてぐいぐい引きつけられた。

同じライターとして、一番印象的だったのが、やはり「ノンフィクションを書く」ということの部分。近藤さんは、この本を書く上で、「人の人生を文字にして世に出すことの重さ」をひしひしと感じたのだそう。センシティブな問題を、文字にすると、話したときの印象とはまた異なる。

人の人生、悩みについて、インタビューするのは、本当に難しかっただろうなと思う。

でも、本を読み終わったときに思ったのが、近藤さんはなんて誠実に一人ひとりに向き合っているのだろうということ。こんなに丁寧に取材して話を聞いて…果たして、私は出来ているのだろうかと思わず我が身を振り返った。

文章には人柄や、思いや、心の奥底で考えていることさえもすべて表れてしまうと私は思っているのだけど、近藤さんの書く文章は本当に誠実でウソがなくて、たぶん目をそらしたいだろうことも、正面から向き合って、キチンと昇華した上で文章にしている、そんなのが、にじみ出ていたような気がする。

近藤さんがこのノンフィクションを書く上で悩んだことは、聞いた言葉を文字にして伝えることの難しさ。ノンフィクションとはいえ、事実をそのまま書けているわけではなく、どんな文章にも、書き手の意図が入っている。書き手のフィルターを通して見た事実である。そんなことで、本当にノンフィクションなんか書けるのかなと思った、と。

インタビュー相手の思いを、そのまま伝えるのは不可能だと。

これは私も取材をする中で本当に感じていて、まず何を質問するかというところから、書き手の意図がすでに介在している。そして、話の中からどの部分を抽出し、どのように表現するかは書き手次第だし、近藤さんの話を聞きながら、そういう意味では本当のノンフィクションなんて、ありうるのだろうかと私も感じたのでした。

それでも、なぜ書くのか。正確に伝えられないかもしれないのに。

それは、第三者だからこそ書ける、伝えられることがあるから、という近藤さんの答え。書き手がいることで、当事者の思いがより明確になるからだと。

「吃音 伝えられないもどかしさ」は、実は昨年3月に1度書き終えていたという。が、その後、優秀な編集者に「このまま出していいんですか?」と問われ、再考。構成や流れはほぼ同じだけれど、章の最後のまとめの言葉など、要所要所を書き直す作業をして、ついに刊行となったとのこと。

事実を紹介して、で、最後に「だからどうなのか?」。 このまとめの言葉を書くのが、本当に大変で、言いたいことがあるときほど、これを通して私は何が言いたいのか、をキチンと言葉にしなくてはいけない。

が、これが本当に難しい。何となくは分かるんだけど、言葉にすると、途端に難しい。これを再度やり直してまとめ直しただなんて、私はもう話を聞くだけでめまいがしそう。

あとは、吃音という問題を抱えていた近藤さんだからこそ、書けたこともあると同時に、当事者だからこそ吃音の人に寄り添いすぎてしまい、最初の原稿では、わりとエモーショナルな言葉が多かったとのこと。それでは読者が離れてしまうと指摘を受け、再考の際その部分を削り、なるべく第三者としての立ち位置をはっきりとさせるように修正したとか。これも難しかっただろうなぁ。

以前、私も遺族として飲酒運転の事故で亡くなった妹のことを文章にしたことがあったけど、どうしても加害者に対する恨みつらみが文章にじみ出てしまって、客観的に書くことの難しさを思ったのでした。第三者になることの難しさ。

あとは、ノンフィクションとは、主張したいことを、いかに事実を交えて伝えるか、それが、醍醐味だと言っていて、すごくいいなと思った。

以上、今回のトークイベントでは「吃音」についてもいろいろ考えさせられたけど、やはり私は書き手としての近藤さんに注目してしまった。

これも私という書き手が介在しているため、かつ感想なので、イベントの正式なレポでは全然ないのですが!

サインをもらったよ

イベント後、購入した本にサインをしてもらいました。

近藤さんのイベントに行くのは何度目だろうか。ブログを振り返ってみると、2010年のイベントでお会いしたのが初めてだったかな。同い年のライターさんの活躍を見ると、本当にいい刺激をもらえる。

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この記事を書いた人

江角悠子

1976年生まれ。京都在住の文筆家・編集者、ときどき大学講師。ブログでは「ふだんの京都」をお伝えするほか、子育てエッセイも。コーヒー・旅・北欧・レトロ建築をこよなく愛す。