いろいろな「気付き」をくれる瞑想〜「私は私でいればいい」という閃き〜

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【心と体を整える】

この不定期連載では、おだやかな日々を実現するために、私が実践していること、気付きをエッセイにしてお届けします。

朝起きたら10〜15分ほどストレッチをして、クッションを二つ折りにして座り、瞑想しています。

瞑想をしているとき、雑念はなかなか消えず、いろんなこと(仕事のあれしなきゃとか、メールの返事できてないわとか)が浮かんでは消えていきます。が、それでもがんばって数を数えることに集中していると、ふと雑念が浮かんできても「はいはい、また私、考えごとしてたね〜」と気付けるようになってきました。

なにか別のことを考えしてしまう自分に気が付く。気付けば、その時点で考えごとをやめて、またすぐに数を数えることに集中する。それを繰り返すことで、ときどき「無」になる瞬間が訪れます。

「雑念」「気付き」「無」を繰り返す中で、頭がスッキリと整理され、何かが研ぎ澄まされるのか、瞑想する中で実にたくさんの気付きがありました。

中でも一番の気付きだったなぁと振り返って思うのは、「私は私のままで良いんだ」ということでした。

「私は私でいればいい」という閃き

「無」になるとそれまで聞こえていなかった、まわりの音が自然と耳に飛び込んでくることがありました。さっきまでは全く聞こえていなかった換気扇の音だとか、鳥の鳴く声だとか、外を走る車の走る音などに、急に気が付くのです。

雑念がある(気持ちが内を向いている)ときは聞こえないのに、何も考えないようにしたら、気持ちが外を向いているせいか、一気にいろんな音が耳に飛び込んできたことに、あるとき気が付きました。

ある日の朝もそんな瞬間があって、「ああ、外はこんなにうるさかったんだ」とふと気が付きます。でもまわりがどんなにうるさくても、私は私で瞑想をすればいい、「私は私でいればいい」という言葉が閃いて、ハッとしました。

私は私でいていいのか!

私は自分に自信がなかったため、これまでずっと「私のままでいる」ことができなくて、いつもまわりの顔色ばかり伺って生きてきたところがありました。まわりの様子を見ては、自分を変えて、そんな自分が嫌だとも何とも思っていなかったのだけど、本当はまわりに振り回されていて、すごく消耗していたようで、私は「私のこと」があまり好きではなかったのですが。

でも、この瞑想をしていたとき、初めて、私は「私のままでもいいんだな」と思えて、気持ちが震えました。ダメな自分も含めて、そのままの自分をようやく受け入れられたような感覚。

私は私でいればいい。

飾らなくても、卑下しなくても、まわりが何と言おうとも、私はそのままでいることを許されている。それって素晴らしいことだなぁって。この言葉の意味を頭ではなく、腹の底で理解したとき、やっと肩の力が抜けて生きていけるような気がしたのです。気持ちもすごく楽になりました。

それまではずっと、今のままの私でいてはいけない、もっと勉強したり、もっと人として成長してがんばって、もっと仕事して、稼いで、もっともっともっと…とずっと思っていたところがあったので。

瞑想はいろんな気づきをくれる。ホント楽しいです。

>次回へつづきます

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この記事を書いた人

江角悠子

1976年生まれ。京都在住の文筆家・編集者、ときどき大学講師。ブログでは「ふだんの京都」をお伝えするほか、子育てエッセイも。コーヒー・旅・北欧・レトロ建築をこよなく愛す。