浪人してようやく大学に入れた19歳の春。
新しく大学生活が始まり、一人暮らしをするようになって初めて
料理・洗濯など、諸々をしてくれていた母親に感謝できるようになった私ですが(←遅い)
子育てをするようになって、またさらに深く親に感謝するようになりました。
なぜなら、子育てしながら、「ものすごく大変!」と思ったことは、
過去にすべて母親が自分にしてくれたことなのだ。
と、 これまたようやく気が付いたからです。
そんなわけで思いついたのが、花園9月号のエッセイタイトルにある「おかげさま育児」。
そのありがたさに気が付く過程のことなどを書き綴っています。
※エッセイは、画像をクリックすると拡大します。
それにしても、「おかげさま」って、いい言葉だなぁって思います。
例えば、「最近、仕事どうですか?」って聞かれたら、ものすごくヒマでも、逆に忙しくても
「おかげさまで」って言っておけば、恥もかかず、また嫌味にもならず、
なんかいい感じに受け取ってもらえるという…、便利な言葉です(笑)
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花園10月号のエッセイ「食べさせてあげたい」では、いつの時代も、
母親というのは同じ思いなのかも、と感じたことを綴っています。
子どもの頃、母親に「このお菓子おいしいね、好きだなぁ」などと一言いうと、
母親はそのお菓子ばっかり買い続けてきて、私は子ども心に
「たまには違うお菓子も買ってきてくれたらいいのに」 と思っていたのですが、
その、同じお菓子ばかり買い続ける母親の思いに気が付いたのは、
20数年経った、最近のことなのでした。
妙心寺発行:月刊誌『花園』10月号(2011.10.1)掲載
大人になってから、分かることってたくさんある。
挿絵には、ツバメが描かれているけれど、その思いって、
人類だけでなく動物など、すべての母親に共通する思いなのかなぁと思いつつ。