昨日2月8日は、27年前にハタチで亡くなった妹の誕生日だった。
もし妹が今も生きていたら47歳で、もう立派なおばさんだ。おばさんになった妹に会ってみたかったが、妹はもう年を取らない。「永遠にハタチ」なんだと思って、昔作った冊子がある。
思えば、これが生まれて初めて作ったZINEだったのかもしれない。そして結果的に、この冊子を作ったことが、私がライターになるきっかけとなった。
今、第12期京都ライター塾の受講生は、自分で企画を立て、次にインタビューする相手にアポ入れをする段階に来ている。アポ入れをしてインタビュー原稿を書くのだけど、初めてする場合、本当にいろいろな壁にぶつかる。

原稿の締切日までに、インタビューができないといったことや、いざアポ入れをしてみると、企画に沿った話ができるか分からないと言われたり。そもそも企画を立てる段階で、掲載してくれそうな媒体を見つけられなかったり、インタビューしたい相手と自分の書きたいテーマにズレがあるなど。
上手くいかないこと、上手くできないことがてんこ盛りである。
でも、「課題をする」ことに限らず、人生とはそういうものではないかと思うのだ。たいていは上手くいかない。上手くいかないのが当たり前。だからこそ、ならば、どうやったら上手くいくか?を考える。
妹を亡くしたとき、「あぁ、本当に人生とはままならない」と思った。この世には辛いことしかない。生きている意味すら分からない。けれど、何年か経ったとき、そういうものなのだ、と悟った。
そんな中でどう生きていくか。
妹はいつか留学したいと夢見て、バイトをいくつも掛け持ちをしていた。死んだとき銀行口座には100万円もの貯金があったと後から知った(大学生の100万円って、相当な額だと思う)。せっかく遊ぶ時間も削って、節約して(ケチだった)貯めていたのに。死んだらもう何もできない。
じゃあ、死ななければ、まだ間にあうのでは?死ぬまではあがいてみればいいのでは?と私は考えた。
日々、上手くいかないことだらけだけど、そうやって私は物事を捉えるようになった。最悪、死ななければいいか、と思うと、とても気持ちが軽くなる。結果いろいろできるようになったのかもしれない。
京都ライター塾の課題なんて、できなくても死なない。今の自分にできる精一杯を、そのまま差し出すので大丈夫。とりあえずやってみればいい。そもそも、挑戦できること自体、生きている人にしかできないことなのだから。
死ぬとか生きるとか、究極すぎるかもしれないけれど、課題に必死に取り組んでいる受講生を見て、悩んでしんどそうなので、ちょっとそんなことを伝えたくなった。
もっと肩の力を抜いて。
今やっていることで失敗しても、死なないから大丈夫。

