最近、中2の息子が週に3回ほど夕飯を作ってくれます。
息子はマウンテンバイクにハマっており
その自転車をカスタマイズするのに
いろいろお金がかかり、お小遣い稼ぎで
夕飯を作ると言い出したわけなのですが。
息子には初めてのことだらけで、レシピはあっても分からないらしく、フライパンに油を入れる(適量)の適量が分からないとよく聞いてきます。
最後に塩を振って「味を整える」の塩の量もどのくらい?と、いちいち聞いてきます。「適当にぱぱっと振っとけばいいんだって」と答えても、「その適当が分からんって!」と言われます。「小さじ1/2とか、細かく言ってくれ」と。
そんなの分からなくても、適当にやっとけばいいのに、適当が分からんかー、と大変嘆かわしく思っていたのですが。
あるときダンスレッスンで先生が「この間奏では、適当に踊っといてください」と言ったとき、ハッとしました。
適当にダンスを踊る、の適当がいっさい分からない!!!息子が言っていた「適当が分からない」はこれか!
適当に踊ることのレベルの高さよ。
右手を上げるとか、ステップを踏むとか
細かく言ってくれないと私は1mmも動けない。
となって初めて、適当ってすごいことなんだなぁと思ったのでした。
ある程度、経験を積まないと適当なんて
とてもじゃないけど、できない。
私は一応料理はずっと作ってきているから、適当な量が分かる。その適当って、やってきた経験あってのものなのだ。
辞書で、「適当」を調べると
① ある状態・目的・要求などにぴったり合っていること。ふさわしいこと。
とあって、適当にすることがいかに難しいことかよく分かる。
なので、
適当に書くとか
適当に片付けるとか
適当に写真を撮るとか
もし今、あなたが適当にできることがあるとしたら、それはこれまでたくさんの経験を積んできたからできること。
適当にできることを誇りに思うべき。
…なんてことを思ったのでした。