来月から「自撮り講座」をするデザイナー・綱まみちゃんに「自撮りをするときは、自意識が大事」とに教えてもらい、考察した「自意識」。
そういえば、文章を書くときも自意識が大事なのである。自意識過剰な文章は読みづらいし、好感は持てない(つまり、自意識過剰な写真も厳しいってことか)。
ということで、自意識過剰な文章とはどんな文章かを考えてみた。
私が思うのは、自分をよく見せようとするのが透けて見える文章が、自意識過剰かなと感じる。賢いと思われたい、すごいと思われたい、逆にバカと思われたくない、嫌われたくないという思いが読者にバレてしまう文章。
それはつまり、読者をコントロールしようとしていることになるんだと思う。すごいと思われるように、コントロールしようとしている。「バカと思われたくない」というのも、バカと思わないようにコントロールしたいという気持ちがあることになる。無意識かも知れないが。
書き手に、無理やり「読者にこうなってもらいたい」というのがあると、拒否反応が出る。
たとえば、「これは私の個人的な意見なので、気を悪くしないでください」とか、やたらと注釈や言い訳を付け足している文章。
私が何かを検索していて、どこの誰だか知らないブログにたどり着いたとき、冒頭に「更新が止まっていてスミマセン」とか「久々の更新です」とかあると、「いや、全然読んでないので大丈夫です」と思ったりする。
いい訳の多い文章を書いてしまうのも、嫌われたくないとか、間違えたくないとか、そんな気持ちがあるのかもしれない。
あと、上手く書きたいという欲が出ているのか、文章が下手と思われたくないのか、過剰に装飾語を使う文章も読みづらい。不必要に難しい言葉や文学的な表現が使ってあったりすると、知識があるのをひけらかしているような感じがする。
そういえば、京都ライター塾の添削のときによく伝えているのが、読者を置き去りにしないでくださいということだ。読者のことを考えず、自分の感情や考えを一方的に語られると、おいてけぼり感があって、読みすすめるのがツライ。
こういうのはどれも読みづらいし、商業ライターとして文章を書くとしたら、どれもOKはもらえない。
これを手放すにはどうしたらいいのか。
文章の書き方に関していえば、矢印を自分に向けるのではなく、読者に向けることである程度、手放せると思う。自意識過剰とは、自分のことしか考えていない状況なのである。賢いと思われたいとか、下手と思われたくないとか、自分のことばっかりだ。
これを「いかに、読者に分かりやすく伝えるか」に視点を切り替える。ここを意識しながら書くだけで、だいぶ文章が変わると思う。
でも、一人で書いているとなかなか気付けない。そういうときに第三者に感想をもらうといい。添削されると気付ける。私は「あ、自分のことしか考えてなかったな」と何度も何度も恥ずかしい思いをして、自意識過剰なのをフラットな視点で書けるように矯正されていったような気がする。
ということはつまり、自撮り写真も「可愛いと思われたい」欲を手放すと良いのかもしれない。我が我が!ではなく、見てくれる人にどうやったらこの景色の美しさが伝わるかなと考える。
自撮りだけど、「本人は風景の中にある、おまけのようなものだ」と綱まみちゃんは言っていた。
そうか!確かにと思った。自分が主役にシャシャリ出ようとしているのが写真で伝わるから、自撮り写真が苦手だったのかも。自分を風景の中の1つの小物くらいに捉えたら、自撮り写真も楽しく撮れそうだなぁと思った。
そんなわけで昨日から自撮りにハマってますが。苦手な自撮り写真をストーリーにアップしたのに、なぜかインスタのフォロワーさんが増えて、味をしめています。

昨日から紹介している綱まみちゃんの「自撮り講座」ですが。受講する際は、「江角さんの紹介で」と言うと、数万円引きの特別価格になるそうなので、興味ある方はぜひ!!!
noteには自撮りのコツも盛りだくさん書いてありました。
いろいろ考察できて面白かった。違うジャンルの人とおしゃべりするのは良いな。