『エレガントな毒の吐き方 脳科学と京都人に学ぶ「言いにくいことを賢く伝える」技術 』読了。

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県外の人に、「京都に住んでいる」と言うと、「京都人、こわくない?」とまず聞かれる。京都の人ってイケズなんでしょう?と。

私は京都に住むようになってもう27年になるが、京都人のあからさまなイケズには、まだ出会ったことがない。

いや、正確には私が気付いていないだけで、本当のイケズとは、イケズをされたと、相手に気付かせないものなんじゃないかなぁと思う。

よそさんである私ごときでは、その場では、なかなか気が付けない。あとあと、なんかちょっと違和感あるなと振り返ってみるに、もしかして、あれがイケズだったのかもしれないと気付く。

そういうもの、な気がしている。

京都人はあからさまに断らないし、
相手に決してイヤな印象を残さない。

そういう京都人っぽい表現が私はすごく好きで、そんな例に出合う度、心にメモをしてきた。

たとえば、自分に子どもがいて、毎日一生懸命に家でピアノの練習をしていたとする。あるとき近所の人にこう言われます。「お子さん、ピアノ上手にならはったなぁ」と。

京都では、何と答えるのが正解か。

私ならきっと「ありがとうございます」とでも答えてしまうと思うけれど、それは間違いで、「いつもピアノの音がうるさくて、申し訳ありません」と謝るのが正解。

近所の人にまで上手になったと分かるということは、 その人の家までピアノの音が聞こえているということ。つまり暗に、「うるさいなあ」と言われているのです。

まるで手の込んだ引っかけ問題のようで、私は普通に引っかかる! 

遠回しすぎて全くもってその嫌味に私は気が付かないが、京都人である夫に言わせると、こんなのはすぐに分かるボーナス問題のレベルなのだそう。

そうした言いにくいことを賢く伝える技が京都には根付いてる。そんな京都人の知的戦略を私たちも学んで、暮らしに取り入れませんかと提案しているのが、脳科学者・中野信子さんの著書『エレガントな毒の吐き方 脳科学と京都人に学ぶ「言いにくいことを賢く伝える」技術 』だ。

なぜこうした言い方になったのか。京都と江戸の歴史から紐解いていくところもよかったし、こんな困ったときには、こういう風に言うといいですよという具体例がたくさん載っているのも良かった。

嫌な人、苦手な人に対して言いたいことを言って打ち負かす。論破するほうがよっぽどスッキリすると思うかもしれないけれど、時にそうはいかない関係性がある。

そんなとき多いに活用できるのが、この京都流の伝え方なのである。

あいまいにしておくことで、スパッと関係性が切られることはない。
断らないから角が立たない。

この、京都人は決して断らないというので、私も本当に困ったことがある。

ライターはお店を取材をさせてもらうのに事前にアポ入れをするのだけど、「今は店主がいません」と言われたり、「まだ予定が分からない」と言われたりして、のらりくらりと交わされる。

当時の私はまだ若くて、京都のしきたりを全然分かっていなかったので、そうですかと言ってそのときは電話を切り、また日を改めて電話をしたり、「いつならいらっしゃいますか?」と食い下がって聞いてみたりしていた。

でも、永遠に店主には繋いでもらえないし、決して店主のいる日も判明しない。さらには「無理です」「ダメです」とも言われない。

だから当時の私は、まだ期待できると思って、しつこく粘っていたが全くの無駄だったし、何度も電話をかけて本当に迷惑がられていたんだなぁと今になって思う。

そもそも相手の物腰はとても柔らかで、もうひと押しすれば、取材させてもらえそうな、むしろ前向きなとてもいい雰囲気なのである。

でも、こうしたやりとりを何度も、いろんな店と繰り返すうちに、やっと「あぁ、これが京都人にとって断るということなのか」と理解した。

読み取るのは本当に難しい。取材が受けられないなら、マジですぱっと断ってほしい。そうしたらさっさと次に行けるのに。と腹も立ったが、これを言われる側だと大変困るけれど、言う側になると、とても便利な言葉なのである。

なんせ断るというのはエネルギーがいる。面倒くさい。しかも断ることで、嫌われたくはない。いい印象を持ったまま、引き続きお付き合いしたいというとき、この京都人的、断る方法はとてもよい。

たとえば日常でよく使われるのが、「行けたら行くわ〜!」というセリフ。イベントや飲み会などの誘いに対して使われる。

私は最初、本当に来れたら来るんだと思っていた。今はまだ予定がはっきりしないから分からないけど、予定が分かって行けるとなったら、来るもんだと思っていた。だから、あとから、あの誘いはどう?行けそう?と何度も確認したりしていた。

が、違う。

これを言った京都人は決して来ない。

「行けない」と言わない(角が立つし、印象が悪くなるから)。でも、行かなかったとしても、行けたら行くと言ったのだからウソにはならない。最高にうまい返事だなと思う。

今では、これを言われたら私の脳内では自動的に「行かない」に変換される。だから、たまにこのセリフを言った当人が現れたとき、「え、何で来たん?」と思うくらいに京都には馴染んでいる。

本には、こういう賢く面白い、いますぐ使えるフレーズがたくさん載っている。

仕事で、日常で、賢くNOを伝える具体例は、いますぐ取り入れられてとても勉強になるし、京都の文化を知る読み物としてもとても面白い。

誰かに話したくなる小ネタが盛りだくさんで、私もこうして熱量高く書評コラムを書いたりしている。

では「迷惑をかけられて困っているとき」「不快だと思っていることを伝えたいとき」など、いろんなシチュエーションごとに使える言葉が紹介されていた。中でも私のお気に入りで、よく使っているのが、無理な依頼をお断りしたいとき。

来てほしくないお客さんから予約の電話が入り、断りたい。どう返す?

(1)すみません、その日はあいにく予約がいっぱいで。
(2)責任者がいないので、分かりません
(3)ありがとうございます。またあいたときにお電話しますね

おすすめは、(3)だそう。

(1)の場合、再度予約をとろうとされる恐れがある。けれど、「こちらから電話する」と伝えることで、相手からの次のアクションを封じているのがポイントと本では説明してあった。たしかにこれは本当に、最高の高等テクニック。

私も取材のアポ入れのときにこの返事をもらい、待てど暮らせど永遠に電話はかかってこないというのを何度も経験した。

本で紹介してある、仕事で、日常で、賢くNOを伝える具体例は、いますぐ取り入れられてとても勉強になるし、京都の文化を知る読み物としてもとても面白い。誰かに話したくなる小ネタが盛りだくさんで、私もこうして熱量高く書評コラムを書いたりしている。

京都人がそうやって上手く立ち回る理由として、この本には書いてなかったけど、もう一つあるなぁと思った。それは「京都は狭い」ということ。

京都で取材をしていると、店主の知り合いの知り合いが、私の知り合いだったり、何かしら繋がっていたりということがよくある。

どこかで誰かと繋がっている。

ということは、私が何か、しでかして悪い噂が立てば、それはあっという間に広まってしまうということ。悪い噂が広まれば損をする。京都で活動しづらい。だから、京都人は(表面上だけでも)上手く立ち回る必要があるんじゃないかなぁと思ったりする。

なので、京都で横柄な態度の人を見かけたりすると、「この人は京都でやっていけるのだろうか」と勝手に心配したりする。

27年住み続けているけど、京都は奥深すぎて、本当に興味が尽きない。

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この記事を書いた人

江角悠子

1976年生まれ。京都在住の文筆家・編集者、ときどき大学講師。ブログでは「ふだんの京都」をお伝えするほか、子育てエッセイも。コーヒー・旅・北欧・レトロ建築をこよなく愛す。