「本当の自分」なんて探さなくていい。平野啓一郎さんの「分人主義」を知って、心がものすごく楽になった。

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非常勤講師をさせてもらっている同志社女子大学で、平野啓一郎さんの講演会があったので、行ってきました!

小説家・平野啓一郎さんのお話が生で聞けるということも魅力的だったけど、講演会のタイトルが「複数の自分を生きる」というもので、ものすごく気になって行ってきたのでした。

分人主義とは

分人主義とは、平野啓一郎さんが唱える概念のことで、ざっくりいうと、一人の人間の中には、いくつもの人格(分人)があり、その複数の人格の集合体が一人の人間であるということ。

本当の自分は1つ=個人という考え方ではなく、いくつもの人格の集合体=自分(分人)であるという考え方。

これについては、下記の本に詳しく載っているそうでぜひとも読みたいと思っているのだけど(買ったので、届くのが楽しみ)、何より、この考え方の素晴らしさよ。

たとえば、私が子どもと接しているときと、ライターとしてインタビューをしているときでは、人格は全然違う。話し方のテンションも違えば、顔つきも違うはず。違うキャラクターになってはいるけれど、そのどちらかが本当の自分で、どちらかが仮面をかぶっているということではない。どちらも自分であり、そのどれもが本当の自分であるという考え方。

この概念を知ると、「一体どれが本当の自分だろうか?」なんて悩む必要もなく、そのどちらも自分なんだよと肯定してもらえる。これがいい。「そもそも人なんて、対人関係によって人格が変わるものなのだ」と、どの自分も全肯定してもらえると、それだけで救われた気持ちになる。

自己肯定と自己否定

自己肯定と自己否定についての話も興味深かった。自己肯定は難しく、自己否定する方が簡単なのだと。

子育てをしていても思う。日本の教育を受けていたら、自己肯定感は生まれにくいような気がする。みんなと一緒でないといけない空気、出る杭はめった打ち。それじゃあ、他の人と違う、他の人と同じことが出来ない自分は、ダメな人間なんだって、思わざるを得ないシステム。

自分のことを丸ごと好きになるというのは、難しい。けれど、分人で考えるとどうか?

私なりに解釈して、図にしてみた。

Aさんと一緒にいるときの自分は好きだけど、Bさんと一緒にいるときの自分は好きじゃない。個人という概念だと、「好きじゃない自分」がいることで、そちらに引っ張られそうだけど、分人で考えると、自分の中に「好きな自分」もいることが分かる。「好きじゃない自分」がいたとしても、「好きな自分」を大切にすればいいのだ。

学校にいるときの自分は嫌い。でも家にいるときお母さんと話してるときの自分は好き。ならば好きな方の自分で生きればいい。学校にいるときの自分が嫌いだからといって、自分の全てを否定する必要はない。これって、いじめに遭って学校に行けない子とか、引きこもりの子とかいたら、この概念にどれだけ救われるだろうと思う。

そして私も、小学生や中学生の頃にこの概念を知っていたかったなぁと思う。そうしたら自分を否定することなく、もっと楽に生きられたのに。というわけで、さっそく我が家の小学生にはこの考え方を伝えたい。

その人といるときの自分が好き

大切な人を失ったとき、なぜ人は悲しいのかというと、その人と一緒にいた自分をもうこれ以上生きられないから、だから悲しいのだと平野さんは言っていた。そして、大切な人が亡くなったとき、人はその人を失った悲しみから立ち直っていく作業をするのだけど、作業をする中で、個人(本当の自分はひとつ)という考え方だと、だんだん立ち直り、元気になっていく自分を否定してしまうことがある、という。

この話を聞いたとき、私も本当にそうだなぁと思って涙が出そうになった。

私も、23才で2つ下の妹が死んだあと、そんな感覚に陥った。自分がだんだん元気になっていくということに罪悪感を持ってしまう。悲しみが薄れていって、少しずつ笑えるようになる自分が申し訳なくて、悲しめない自分を否定してしまう。

でも分人という概念で考えると、妹と過ごしていたときの自分(分人)はなくならない。その割合は小さくなっていくかもしれないけど、なくなることはない(なくなることはないと言ってもらえて、すごくうれしかった)。

分人の割合や円グラフの中の人格は、そのときどきで変化をする。環境が変わり、接する人が変われば変わる。その丸ごと自分。いろんな自分が全部本当の自分。

以前、人生の役割というエッセイを書いたけれど、それと同じような感覚かもしれない。

なんか、全然うまく書けないのだけど、ものすごく感銘を受けたので自分なりに解釈してメモ。が届いたら、またゆっくり読んで理解を深めたい。

それにしても、平野さんは私の一つ年上で、同じ時期に同じように京都で大学生として過ごしていたんだなぁと思うと感慨深い。就職はちょうど氷河期に入った頃で、自分探しが流行っていて…とそんな話を聞きながら、懐かしくあの頃を思い出したのでした。あぁ、握手してもらえば良かった!!(勇気が出なかった)

分人3部作

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この秋に公開される映画「マチネの終わりに」。公開までに原作を読んでみたいなぁ。

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この記事を書いた人

江角悠子

1976年生まれ。京都在住の文筆家・編集者、ときどき大学講師。ブログでは「ふだんの京都」をお伝えするほか、子育てエッセイも。コーヒー・旅・北欧・レトロ建築をこよなく愛す。